ルワンダの小さな農村の子供達との交流
私が青年海外協力隊としてルワンダ共和国ルリンド郡に派遣され、ムコト村に住み始めたのは今から8年前。
この村は首都から別の中規模都市への幹線道路沿いにあるので交通の便はいいが、そのぶん通過地点でもあるため、建物は少なく、牧歌的な農村地帯だ。
そんな静かな村に外国人は当然私しかいなかった。
村の人たちは興味津々。
特に近所の子供たちはしょっちゅう家の周りに来ては、どんなやつが住み始めたのか見に来ていた。
遠目で眺められていると動物園の動物みたいで、あまりいい気分ではなかったし、特に子供たちには異文化の人間と触れ合ういい機会だと思い、家に招き入れた。
この村の人の9割くらいは英語を話せない。
(ルワンダは日本のようにほぼ単一言語の国なので、日常生活で外国語は不要)
子供たちも含めて基本会話はルワンダ語だが、うちに遊びに来た子たちには一つだけルールを設けていた。
「君たちは基本自由にここに来て遊んでいい。腹が減ったら食べ物もあげるし、喉が渇いたら水もある。映画を見たかったらパソコンで見せてあげよう。(パソコンには勝手に触らないでね)好きに楽しめばいい。ただし、この家では英語を使うこと」
そこから日本に帰るまでの2年間、
色んな子がうちに来て、遊んだり、はしゃいだり、私に食べ物をねだったり、映画を見たり、たまに勉強を教えたりしていた。
楽しかった。
子供といっても年齢は様々で、親や兄弟に連れられてきた3歳くらいの子もいれば、10歳前後の子もいたし、15歳くらいの大人びた子も来ていた。
協力隊の任期の2年間は本当にあっという間で、任期満了の帰国とともに子供達にも別れを告げた。
6年後、再びムコト村へ
帰国から6年。
私はムコト村に帰ってきた。
今、このムコト村のあるルリンド郡産のコーヒーの日本での販売利益を使い、ムコト村の子供たちに栄養のある食べ物を配る活動をしている。
この活動は、ルワンダの社会問題である慢性的な子供の栄養不足の解決だけでなく、当時外国人である私に快く接してくれて、今でも温かく迎えてくれる村への恩返しでもある。
村の人たちは再訪した私との再会を心から喜んでくれた。
とてもうれしかった。
そこには当時うちに遊びに来ていた子供たちの姿もあった。
出会った当時、
3歳だった子供は11歳に。
10歳だった子供は18歳に。
15歳だった子供は立派な大人になっていた。
一番驚いたのは、8年前に生まれたばかりの赤ちゃんだった子が、今はかなり大きくなり、言葉を話して飛び跳ねている姿を見た時だ。
過去から未来にタイムスリップしたような感覚になる。
三人の子供たち
そんな子供たちのなかでも、特にうちによく遊びに来ていた三人がいる。
・我が家の真隣の家の長男、セドリック。8年前は10歳。
・私の家があった山の中腹から少し上った所に住んでいて、しょっちゅううちに来ては色んなものに関心を示していたおてんば娘コーガ。当時9歳。
・山の麓の家の末っ子で、頻繁に学校をサボってはうちに来て、私に叱られても曇りひとつない屈託のない笑顔で返す超マイペース人間シオーネ。当時7歳。
特にこの三人は常連で、暇さえあればうちに来ては色々遊んでいた。
あれから8年。
彼らも成長した。
勉強熱心なセドリック
セドリックは私のお隣の家の長男だ。
彼は色々なものへの関心が高いだけでなく、学習意欲も旺盛だった。
学校の勉強にも熱心で、宿題に関することや、私との英語で分からないことがあればよく質問していた。(私も勉強になった。)
頭もよく、私が冗談半分で教えたハイロウズの『日曜日よりの使者』の歌詞をすべて覚え、さらにそれをアートの授業の自由課題の発表で披露し、100点を取ってきた。
以下の動画がその時の様子である。二番までしっかり歌える。
セドリックは今村を出て、少し遠い地域の全寮制の高校に通い、理学や医療系の道に進むべく勉強している。
その全寮制の学校は理系科目に力を入れており、寮費を捻出するお金のない両親を必死に説得して通わせてもらったという。
8年前と違い、彼は私と英語だけで会話できる。
「病院などで働いて、困っている人の力になりたいんだ。」
私を見るそのまっすぐな瞳は、背が伸び、視線がほぼ等しくなった今でも、当時と変わらず学ぶことへの意欲に満ちていた。
おてんば娘のコーガ
うちに遊びに来ていた中で一番の元気者、コーガ。
走る、飛ぶ、歌う、踊る。
まあよく、そんな広くない我が家でそこまで運動量を発揮できたものだ。
女の子らしく、カメラを向けるとポージングしたりもする。
変顔も得意。
私の持っている色んなものにも興味津々で、ハンドドリップコーヒーに挑戦した村人は、村の歴史上彼女だけだろう。
幼い子の面倒もよく見ていて、小さいコーガがもっと小さい赤ちゃんを負ぶっている姿はかわいかった。
逆に勉強は苦手で、私との英語の会話にも苦慮していた。
元気は有り余っていたので、スポーツや歌、ダンスを楽しむ明るく活発な子に育つんだろうと思っていた。
8年後、彼女は見違えるくらいおしとやかで美しい女性に成長した。
正直、一度見た時はコーガとは分からなかった。
物静かで、私とあいさつした時も照れ笑いをしていた。
その変わりぶりは、いまでもたまに見かけるたびに驚く。
子供はどう成長するか本当に分からない。
ただ、幼い子への気遣いは変わらずで、今でも親戚の小さな子をおぶっている。
その優しさが彼女の芯の部分なのだろう。
純粋無垢シオーネ
このように8年もたつとみんな色々変化もあるが、逆にまったく変わらなかったのがシオーネである。
背こそ大きくなったが、性格は変わらず。
マイペースでいつも笑顔。
協力隊当時、基本私の家は開放していたが、2年もアフリカの村で暮らしていると、たまに一人でゆっくりしたい時もある。
そんな時は家を閉め切り、庭で一人横になり静けさを楽しむのが好きだった。
そんな静寂をお構いなしにぶち破ってくるのがシオーネだ。
「Bob!こんにちは! Bob!こんにちは! Bob!……こんにちは!」
呼ばれ続けても居留守を決め込み無視する。
たいていの子供はこれで家に帰る。
が、シオーネは違う。
小さい身体で壁をよじ登り、ウォール・マリア越しの超大型巨人がごとく家を覗き込む。
そして一言。
「Bob!こんにちは!」
そして中に侵入。
内側から門を開け、ほかの子供を引き入れる。
城攻めか。
そして屈託のない笑顔を向けてくるのだ。
そこまでやられたらこちらの負けだ。
いいだろう。私のたまの静寂を捧げよう。
そこに悪意は一切ない。
Bobの家に行くと楽しいから、行く。
それだけ。
こんなにも純粋な存在に会ったことはなかった。
そのあまりのピュアさは、日々の活動の疲れを癒してくれたものだ。
シオーネがどこからか花を摘んできて、ブーケにしてくれた。いいやつなんだ彼は。
純粋な分、とても勉強は苦手。
つまらない学校をよくサボってうちに来ていた。
叱っても効果がないので、時間がある時はうちで勉強を教えていた。
アルファベットを教えたが、Gの読みが全然覚えられず(「ガ」って言っちゃう)、ついにその壁を越えられなかった。
(彼の名誉のために付け加えると、ルワンダでのアルファベットはルワンダ語に合わせてA「ア」B「バ」C「チャ」D「ダ」とオリジナルの読み方で覚える。そしてQとXがない。)
今ではさすがに学校はサボらなくなったようだが、勉強は相変わらず苦手そうだ。
アルファベットを読ませてみたが、やはりGが苦手だった。(一緒に読むとなんとか読めた)
それでも相変わらずのマイペースさと満点の笑顔で、当時と変わらず私を癒してくれた。
これから成長していく子供たちへ
他にも村では色々な子供の成長が見られる。
そして今、栄養改善活動として卵の配布を行っている保育園の5歳未満の子供たちも、やがて成長する。
園児たちは保育園に行くといつも「ボッボー!」と呼びながら笑顔を向けてくれる。
そんな愛くるしい彼ら、そしてこれから生まれてくる子供たちが健やかに成長し、セドリックやコーガやシオーネのように大きくなった時の姿を楽しみに、日本でのコーヒー販売とこの活動を続けていこうと思う。